短編小説『ワンルーム』

企業のPRムービー用の台本を納品した直後、待っていたかのようにグーッとお腹が鳴った。1230分。お昼どきである。

遮光カーテンの隙間からは、緩やかな光が溢れ、そういえばそろそろ洗濯しないとな、とか、たまには袋麺じゃなくて、外に食べに行こうかな、とかを思った。

吉祥寺に住み始めてもう2年と少しが経つ。1ヶ月分の更新料がかかることを知っていながらも、引っ越し代も馬鹿にならないし、と適当な理由を作っては先延ばしにしているうちに、更新料の請求書が家に届いていた。

家から駅までのちょうど間ぐらいの場所に、お気に入りのカレー屋がある。看板メニューであるポークカレーを頼むと、ターメリックライスを囲うように、スパイシーなルーがなみなみに注がれ、運ばれてくる。ライスは海に浮かぶ孤島のようにも見え、初めてこの店に来た時「ノブは無人島に取り残されても、生きていけそうだよね〜」と咲希は嬉しそうに話していた。



安藤咲希とは3年ほど付き合っていた。高校の頃からの同級生だったのだけれど、大学生になってから友達を通じて急速に仲良くなった。就活が終わった大学4回生の秋、もしどちらかが地方配属になって、遊んだり会えなくなったりすること、もっと言えば、咲希が他の誰かと付き合うことがなんだか無性に嫌になり、友達の家で遊んだ帰り、駅のホームで告白した。咲希は突然のことに驚いた顔をした後、泣きそうとも嬉しそうとも取れる顔をして頷き、なんだかドラマのワンシーンみたいだなと思った。今考えると、少しドラマごっこに酔いすぎていたようにも思えるが、そういうクサさが、そういうクサさに嬉しくなる自分の感性が、今脚本を書くことに活きているのだと思っている。

社会人3年目になる頃、会社を辞めて、脚本だけで生きていこうと思った。元々会社員と並行してやっていた脚本業の依頼は東京が多く、脚本家を本気で目指すならば、と住む場所も東京に移した。元々相談はしていたのだけれど、改めてその話をした時、咲希は少し寂しそうな顔をしていた。周りの友達からは「ノブの夢は応援したいけど、咲希がちょっとかわいそう」と言われた。自分もその通りだと思った。

東京に来てからも咲希とは、東京、時には大阪で月に1度ほどのペースで会っていた。ちょっとした居酒屋や、隠れ家的な喫茶店を巡ったり、お金はあまり使わなくともそれなりにいつも楽しく過ごしていた。家の近くのカレー屋もその時に見つけたものだ。脚本業もひとづてではあるが、依頼が月に何本も舞い込むようになっていた。このまま東京で脚本家として成功して、咲希と一緒に住んだり、結婚する未来をぼんやり思い描いていたのだけれど、上京して1年が経とうとする頃、咲希に別れたいと言われた。頭の中で建てられた一軒家は取り壊され、縁側に座る老夫婦の姿は見えなくなっていた。

大阪の喫茶店。咲希の家に置いていた服や本やゲームが2つの大きな紙袋に入って返された。普段あまり泣かない咲希がテーブルに涙が落ちるくらいに泣き、涙もろい自分はもちろん泣いていた。帰りの新幹線、別れるってそんなベタな感じなのね、なんてことをぼんやり思って、いつかの脚本に活かそうと思った。活かそうと思って、悲しくなった。



吉祥寺という街は、咲希と見つけた店や、小路で溢れている。カウンター7席しかないカレー屋、「ロサンゼルス」という名前なのに和風のラブホテル、なぜかメニューにハンバーグがある中華料理屋。月がなんだか綺麗に見える公園。

脚本に煮詰まった時は、思い出をなぞるように吉祥寺を歩く。なぞればなぞるほど、そのとき咲希と過ごした時間や会話、その時の自分の気持ちが思い出されて、なんだか書けるような気にさせてくれる。だけどなぞればなぞるほど、線は濃くなるどころか、薄くなっていった。どれが本当にあったことなのか、なぞるたび咲希との思い出がぼんやりとしていき、怖くなった。もっとも、最近は企業のPRムービーや、下請け的なショートムービーの脚本依頼が多く、わざわざなぞって思い出すような機会も無くなっているのだけれど。

朝ゆっくりと起きて、フォーマットに沿うだけの脚本を書き続け、窓を開けると外が暗くなっている。そんな日々を過ごしているうち、「俺って脚本を書ければなんでも良かったんだっけ?」とだんだん自分が分からなくなっていた。

なんだか鬱的なものの予兆に思えて怖くなり、どこに出せるかも考えず、一度本当に書きたいものだけを盛り込んだ脚本も書いてみたけれど、なんだかうまく行かず書きかけのままになっている。自分が書きたい事がなんなのか、もはや分からなくなっていた。



大学からの友人、飯塚翔太とは、そんなお互いのどうしようもない気持ちを定期的に集まっては慰め合う。翔太は下高井戸に住んでいて、自分は吉祥寺。だから集まるのはいつも井の頭線沿いのどこかの駅で、下北沢、明大前、吉祥寺、話せればどこでもいいのだけれど、同じ駅の同じ店では飲まないことをルールにしていた。場所を変えればなんだか気分が変わって楽しいし、そういう部分をお互いに楽しめるところも、一緒にいて心地いい理由のひとつだった。

「ノブはかっこいいよ、夢があって。まだまだこれからかもだけど、今もなんとか食えてるわけじゃん。俺は今やってる仕事が好きかどうかなんて考えたこともないよ。」

吉祥寺の餃子酒場で、翔太は顔をあからめながらそう話す。自分も翔太も、2杯くらいお酒を飲めば、すっかりと顔が赤くなってしまう。

「まあでも、好きな事が100%出来てるかって言われるとそうでもないよ。今日もさっき1本納品してから来たけど、またあるあるのパターンで書いてしまったな〜って思ったし。」

「そうかなあ、でも俺は自分のやった仕事に悔しさも別にないから、悔しいと思うだけ凄いけどな〜。てか、この餃子うまいな!食ってみ」

味噌をつけるタイプの餃子を食べながら、翔太は朗らかにそう話す。褒められると天邪鬼のようにネガティブをぶつけてしまう自分を、翔太はいつも上手くかわしてくれる。これも、翔太と一緒にいて心地いい理由のひとつだ。



ある日、知り合いの脚本家である三村から急に連絡があり、劇団の打ち上げに呼ばれた。普段はあまりこういう場に乗り気ではないのだけど、脚本業に迷走していたのもあり、何か変わるきっかけが得られれば、と下北沢に向かった。安くて広い海鮮酒場の右奥の席、自分が着いた頃にはもうそれぞれ飲み始めており、やれ演劇の未来がどうだ、やれお笑いと演劇の違いが、とか、耳にタコができるほど聴いた話が、各所で飛び交っていた。

三村が案内してくれた席に座ると、今回の演目の主演俳優と主演女優、音響の田淵もと子さんがいた。田淵さんとは何度か仕事でも一緒になったことはあるが、他の二人は初めてだった。俳優の方は早々に出来上がっており、こちらに一瞥だけをし、隣の卓の会話に楽しそうに入っていく。田淵さんが前に座る女優、佐々木しほに自分を紹介してくれる。

「しほちゃんは、はじめまして......かな?脚本家のノブくん。私も仕事で何回か一緒になってて。」

「急にお邪魔しちゃってすいません、三村さんに呼んでもらって。しほさんの公演、何度か見させてもらってます。この間の”糸”とか。演技、凄く素敵でした。」

「え、嬉しい!脚本家の方にいきなり褒められるとなんか照れちゃうな。ノブさん、最初何飲みますか?」

「あ、じゃあビールで。」

「じゃあ私もビールにしよっと。たぶっちゃんも2杯目飲む?すいませーん!」

ふと時計を見ると21時。気付けば飲み始めて1時間が経っていた。自分は脚本家として何かを得るために今日ここに来たのだ!という家を出る前に携帯したうすっぺらな意思は、全ての話を興味津々に聞き、暗い話は朗らかに笑い飛ばしてくれる佐々木しほの魅力にいとも簡単に打ち砕かれていた。

話していくうちに、お互いの1番好きな映画が同じであることを知った。それはバレエをモチーフにした映画で、社会人1年目のまだ大阪にいるころに一人で観にいき、こんな脚本が書けたらと強く思った原体験の作品でもある。1番好きな映画としてその名前が出た時、嬉しくなっていつもよりお酒を飲んだ。店を出て、駅まで向かう道すがら連絡先を交換した。あまり人に教えていなかった映画の感想アプリもフォローしあった時、彼女のアイコンが大盛りに盛られた白米の写真で、吹き出しそうになった。理由を訊くと「だって、ごはんって美味しくないですか?」としほは嬉しそうに笑っていた。

家に着き、洗面台の前に立った時に少しにやついている自分と目が合い、我に返る。駅で別れてから家に着くまでの数十分、しほのことしか考えていなかったことに気付き、自分で少し引いてしまう。ダメだ、頭を冷やさねば。急いで部屋の窓を開ける。秋風が吹き抜け、火照った頬に柔らかく当たる。窓から見える月がなんだかいつもより大きい。27歳、東京の秋。本田宣樹は恋をしてしまっていた。



ほどなくして、しほと二人で飲みにいく予定を立てた。あの日以来、家でご飯を食べていても、音楽を聴いていても頭の片隅にしほが浮かび、気分を変えようと外を散歩しても頭から離れなかった。どうしようもないので、思い切って「今度ご飯に行きませんか?」と連絡をしてみたのだ。送った後、「急に送るのはまずかったかなあ」と部屋をうろうろしながら送信取り消しに何度も手が伸び、「いや、今消すほうがダメかも」と手を戻す、を何度も繰り返していた。「ぜひ!私も行きたいなあと思ってました」と返事が来た時はあまりの嬉しさに、外に走り出しそうになった。

しほは三茶に住んでおり、お互いの間ぐらいにある下北沢で飲むことにした。本当は吉祥寺ならオススメの飲み屋やカフェがたくさんあるのだけれど、自分の街にいきなり呼ぶのもなんだか気が引け、しほのオススメのお店を予約した。

「ノブはさ、脚本家として最後どうなりたいとかってあるの?」

自分よりも年が2つ下のしほは、ものの数十分の間に、見事なナチュラルさでノブと呼び捨てにするようになっていた。そういうナチュラルさも彼女が人を惹きつける所以なのだろう。

「そうだなあ、自分が書きたいように書いた脚本で映画を作ってみたいな。このまま商業脚本家として進んでいく道もあるんだろうけど、それは多分向いてないような気がする。」

「ノブって、自我強そうだもんね。話してて分かるよ」

「そうかなあ、結構色々譲ったりもするんだけどね」

「絶対強いよ、ほら」

焼き鳥の最後の一本を取ろうとする自分の手を指差し、しほは楽しそうに笑う。

「まあ、いつかそういう脚本が書けたらその時はぜひ読んでよ。」

「そうだね、1番に見せてね〜」

程よく酔った二人は店を出て、これまたしほのオススメのバーへと向かう。アイコンがごはんなだけあり、しほがお勧めする店はどれも人が少なく、何を食べても美味しい素敵な店だった。そして2軒とも、しほは店主と親しかった。バーの店主としほが入店と同時に盛り上がってハグをしているのをみた時、胸がざわついた。しほはきっと帰国子女で、アメリカ的なコミュニケーションが根底にあるのだろうな、とおそらく間違った佐々木しほの過去を脳内で捏造することで、なんとか心の均衡を保っていた。

「ノブってさ、絵本とか読む?」

「絵本?」

「そう、私、絵本が好きで色々読むんだけどね、特にエドワードゴーリーとか。悲しいんだけど、なんだかそばにいてくれるような気持ちになんだよね。」

「絵本かあ。しかもエドワードゴーリーって、あの怖いやつじゃないの?」

「うーん、怖いんだけどね、やさしくて美しいの。なんか全部やめて、ひとりでどっかにいっちゃいたい時とかない?そういう時に読んで、なんか怖さよりも優しさを感じて、夜眠れるようになったりするの。ノブにも読んで欲しい。」

溌剌そうに見える反面、気を抜けばどこかに消えていってしまいそうな危なっかしさも、しほの魅力なのだろうな。既に許容量を超えたアルコールを流し込みながら、ぼーっと思っていた。



ある日の夜、しほと連絡を取っているうちになんだか声が聞きたくなって、電話をかけた。ずっと追われていた脚本が書けて、勢いづいていたのもある。書いた本のストーリーや最近観た映画の話をしているうちに、だんだんとお互いの家族の話になっていった。自分の両親が離婚調停中であること、だけどそんな両親のことが好きであることなんかを話すと、「両親ねえ。私の話聞いても引かないでね」としほも話し始める。

しほは幼い頃に両親が離婚し、母に引き取られる形で母、6つ上の兄、しほの3人で暮らし始めた。母はあまり子育てに興味はなかったらしく彼氏を作っては放任、兄は高校卒業と同時に夜の世界に進み、音信不通になったらしい。

「だから、私はあんまり家族のことが好きじゃなくて、ずっと一人で生きてきたような気がするんだよね。家族って何かわかんない。優しかったおばあちゃんももういないし。」

電話の先から泣いている声が聞こえる。どんな言葉をかけるのが正解なのか分からなくなって、ただ黙って聞くことしかできなかった。

しほの消えてしまいそうな危なっかしさや、明るさの奥にあるほの暗さの理由が、なんだか分かった気がした。全部受け止めたいな、とも思っていた。



木々が色づき、秋も深くなってきた頃、3度目のデートに行った。お互いの仕事の関係で中々予定が合わず、しほの夜の予定まで目黒で遊ぶことにした。「3回ご飯食べて告白しなかったら、二人はただの友達になってしまう」という昔観たセリフに縛られるように、興味津々に雑貨を見るしほを見ながら、そろそろ告白した方がいいのだろうか、とぼーっと考えていた。夜に予定がある日に告白するってどうなのだろう、咲希に告白した時ってどんな気持ちだったんだっけ、そんなことをぐるぐる考えているうちに、夜が近づいてくる。

「今日の夜の予定って何時から?」

「19時から!陽くんが18時過ぎに迎えに来るって言ってたから、そろそろかなあ」

「陽くん......?」

頭に浮かんだ言葉が、無意識に口をつく。

「あ、ノブに言ってなかったっけ。陽くんは元カレ。でも半年前に別れたし、もうなーんもないよ。あ、妬いてんの?ノブは全部顔に出るからいいよね〜」

元カレが今から迎えに来る......?ということは夜の予定って元カレと......?それが東京の恋愛のスタンダードな形なのだろうか....色んな思いが頭を巡る。

「大丈夫。陽くんは彼女いるよ。あと今からも別に二人じゃないし」自分の動揺を全て見透かしたように、しほはこちらを仰ぎ見て言った。

ほどなくして、薄い青のシトロエンに乗り、陽くんは現れた。”陽くん”などといういかにも陽気そうな名前と、女優の元カレという前情報から勝手に推察していたイケイケの男性像とは程遠い、物腰柔らかで優しそうな青年が目の前にいた。

「向こうに着くまでに家とか寄らなくて大丈夫?」

「別に大丈夫かな。もう、そのまま行っちゃお」

陽くんとしほの会話には、男女のそれというよりは、家族や友達のような日常的な温度が流れていた。なんとなく居場所を失った自分はその横にぼーっと立っている。

車に乗り込む前、しほはこちらに駆け寄り「この間言ってた動物園さ、一緒に行こうよ。来週とかがいいかな。また連絡するね」と笑顔で話す。少し自分が落ち込んでいるように見えたのだろうか。

薄い青のシトロエンがだんだんと小さくなり、夜の中に溶けていく。この気持ちはなんだろう。体の触れないところがなんだか痒くなり、それが心なのだと、気付いた。



「あー、その子は多分ノブには手に負えないわ」

明大前にある焼肉屋。楽しそうに肉を焼きながら、翔太はそう話す。煙越しに見える嬉しそうな笑みが、今目の前にあるハラミに対してのものか、それとも自分の恋に対してのものなのかは不明だ。

「そんな早々に決めつけんでもさ、ちょっとぐらい助け舟くれたっていいじゃん。ほら、肉焼くから」

網の空白を埋めるように、トングでホルモンを次々並べていく。

「うーん、でも聞いた感じ、その子めちゃくちゃ男に慣れてそうなんだよな。なんか全部の行動が技あり、って感じがする。そしてノブはその全部に簡単にやられてておもろい。」

「まあ、それはそうかもなあ」

「ノブは昔から簡単なんだよ。簡単っていうか、ピュアか。まあそれがノブのいいところだし、だから脚本も書けるんだろうと思うけど。」

翔太は通りかかった店員を呼び止め、ハイボールを追加で注文する。

「てかさ、ノブは普通に話してるけど、元カレが車で迎えにきて、二人で次の予定に向かうって、結構ヤバいよ。その時点で俺なら無しかも」

「まあなあ。でもなんでか分かんないけど、元カレとしほが話してる時、不思議と嫌な気分にならなかったんだよ。なんというか、日常って感じがして。しほの事、実はあんま好きじゃないんかなあ」

皿に乗ったホルモンが魔法のように、翔太の口に消えていく。こんなに美味しそうに肉を食べる人間を翔太以外に知らない。

「変わってるよなあ、ノブは。.......ノブはさ、咲希ちゃんに未練とかあんの?」

突然翔太の口から出てきた咲希という言葉に驚く。

「咲希?うーん。たくさん話して、お互い納得して別れたし。なんというか、一緒になるとかはないんだろうなあ、って思ってる。なんで?」

「いや、そういうところにヒントが転がってんじゃねえかな〜、と思って。あと、ノブと話してると、未だによく咲希ちゃんの名前が出るし。」

「あぁ。でも、うーん。うまく伝わるか分かんないけど、例えば脚本家としてもがいてる今の自分とか、何か新しい仕事の話がきた時、咲希に伝えたいな〜って思う時はあるよ。」

「まあ、確かにノブと話してて、そんな感じはするよ」

「でもそれは、好きだからとかじゃない気がする。会いたい!というより、報告したい!って感じ。これって未練なんかな?」

翔太はもう満腹といった様子で、箸を止め、ハイボールをゆっくりと飲んでいる。

「未練.....っていうよりは、咲希ちゃんに感謝してんじゃない?なんというか、咲希ちゃんと過ごした日々があったおかげで、今の自分がある、みたいな。」

翔太の言葉を聞いて自分の心にストンと、何かが落ちていく感覚があった。翔太はハイボールを、もう飲み終わろうとしている。

「てことは、しほが元カレと話してるのが嫌じゃなかったのもそういうことなのかな」

「そうなんじゃない?その子が元カレと話してる時に感じた日常?だっけ。それとノブが想う咲希ちゃんへの気持ちが同じと思ったのかもな。まあ、なんにせよ、その子はノブの手に負えないとは思うけど。まあ、好きだったら止まんないか」

ノブも食べる?と翔太はメニュー表を広げ、締めのアイスを頼もうとしていた。



12月。紅葉づいた葉が散り始め、息も白くなる頃、上野動物園にいた。「みんな寝てたらつまんないかも、とか思ったけど、冬に来るのも意外といいね」心地良さそうに眠るクマを網越しに眺めながら、しほは言った。

翔太と焼肉を食べた後、駆り立てられるように脚本を書き始めた。ずっと書きかけのままにしていた脚本。自分の書きたいものだけを盛り込んだ脚本。ずっと分からなかった咲希への気持ちが、翔太の言葉でストンと落ちた瞬間から、なんだか無性に書けるような気がした。

陽くんがシトロエンで迎えに来たあの日からも、しほとは変わらず連絡を取り合っていた。あの日以来、しほとの会話の節々に顔を覗かせる陽くんの存在や、前までは意識していなかったしほの周りにいる男性の存在が急に気になり始め、同時に自分の心が段々と疲弊していっていることも分かった。これをずっと続けていると、自分にとってよくないな、とも思っていた。

広場のベンチに並んで座り、売店で買ったホットコーヒーを飲んでいる時、しほがふと「あのさ、一個だけ訊いていい?」とつぶやく。

「ノブってさ、いつ私に告白するの?」

突然の言葉に驚いて、飲んでいたホットコーヒーが気管に入り咳き込んでしまう。

「いつもノブの方から誘ってくれてさ、こうやってデートに行って、なんかいつもタイミングを伺ってるような感じなのに全然言ってくれないしさ。もう4回目だよ。私、この人が自分のこと好きかどうかなんて分かるよ。ちゃんとモテてきたもん。」

どう返事をするのがいいか考えている間、少しの無音が流れる。二人は並んで前を見つめる。目の前にはオレンジ屋根の売店があり、くくりつけられた風船が風に揺れている。

「......変なこというかもだけど、聞いてもらってもいい?」

そう言うと、しほはクスッと笑った。

「ノブは大事な話する時、絶対に前置きがあるよね。いっつもおもしろい」

「恥ずいなあ、言わなけりゃよかった。」

「でも、いいよ。教えて」

「......俺さ、しほのこと好きなんだ。もうそりゃあ知ってたとは思うけど。でもね、多分しほがびっくりするぐらい、俺しほのこと好きだと思うよ」

「そんなに?」しほは嬉しそうに笑いながらこちらを見る。少しだけ目が合って、なんだか照れくさくなり再び前を向き直す。

「だって、映画観てても、音楽聴いてても、しほのことが頭に浮かぶし、美味しいご飯屋さんを見つけたら、しほを連れてきたいな〜と思うんだ。好きな映画だって一緒だし、あとね、言ってなかったかもだけど、芸能界の人をみんな入れても、しほのことが1番タイプなんだ。全員入れても、って凄くない?」

「めっちゃ私のこと好きじゃん」顔を見なくても、声のトーンで嬉しそうなのが分かる。

「で、こっからが変なことなんだけど。」

「え、何?怖いんだけど」

「......好きなんだけど、しほと付き合いたいとは思ってないんだ」

しほからの相槌が途切れ、一瞬だけ会話が止まる。目の前の風船は風を受け、先ほどよりも元気そうに揺れている。

「しほから陽くんの話題が出るたびに、それと、しほと仲の良い男友達の話が出るたびに、なんだか気持ちが沈んだりする自分がいて。だけど、しほから連絡が来たりすると嬉しくなって、何もなかったみたいに気持ちが戻る。しほのことを好きになってから、毎日そんなことを繰り返してて。」

「......うん。」

「もしかしたら自分がメンヘラ気質なのかな?とも思ったんだけど、今までの恋愛でそんな気持ちになったことがなくて。俺、多分まだしほのことを信じきれてないんだと思うんだよね。家族の話も聞いて、好きなものの話もたくさんして、それでも信じきれないなら多分このまま付き合っても、疲れちゃうんだろうなと思う。だから付き合おうってならなくて、言えなかった。」

少しの沈黙が流れ、しほが少し怒ったような口調で「すっごい勝手だね。」と言う。

「なんか聞いてたら、ずっと自分の話で私のこと置いてけぼりじゃん。信じられないって何?信じたらいいじゃん。あと一応だけど、私ノブの事好きなんて、1回も言ってないよ」

「確かに。1回も言われてない。ごめん」

少し落ち込み、下を向いていると、「あー、もううっとうしい!」としほは立ち上がり、こちらを見る。

「ノブってやっぱりすっごい変な人だよね。全部顔に出るのに、全然何考えてるか分からない。でもそういうところが好きだよ。ねえ、それよりあの売店のホットドッグ食べない?さっきからずっと気になってて」そう言うとしほは、オレンジの看板の方を向き、すたすたと歩き始める。

自分も立ち上がり、売店へと歩き始める。多分今、好きって言ってたよな。聞き間違いじゃないよな。先に売店に付いたしほは、メニュー表を眺めている。くくりつけられた風船はまだ、冬の風に揺れている。



いくつか季節を越えた頃、ずっと書いていた脚本が完成した。昔、一度書こうとした時の「もし、ふたり天使になって」の書き出しを変えるかどうか迷ったけれど、そのまま書き切ることにした。少しクサい書き出しも、なんだか味があって気に入っていた。書き終えたこの脚本をどうするのかはまだ決めていない。数日前、これもまた三村の紹介で映画監督と知り合った。このタイミングで知り合うのも何かの運命なんじゃないかと思い、まずはその監督に脚本を見せてみようと思っている。

しほとは、あの後何度かご飯に行き、お互いのためにもう会うのはやめよう、という話になった。そこから数ヶ月連絡を取らなかったのだけれど、脚本が出来上がった時は約束通り初めにしほに送った。返事はなかったけれど、既読はついていた。きっと読んでいるような気がするし、読んでいなくても、まあいいかな、と思う。

脚本を書き終えた時、しほだけでなく、咲希にも、翔太にも、そして地元にいる家族にも今まで出会った全員に伝えたくなった。今までの人生は、この物語を書くための全てだったんじゃないかな、とまで思って、駅のホームで咲希に想いを伝えたこと、会社を辞めて東京に来たこと、翔太と飲みに行った全ての店やしほと出会ったこと、全てを抱きしめたくなった。

この間、翔太と飲みに行った時、同棲している彼女にプロポーズしたことを聞いた。1番の親友の幸せな報告に胸がいっぱいになって、気持ちが溢れそうになった。涙もろい自分は、もちろん泣いた。それを見て、なぜか翔太も泣いた。

来月には誕生日を迎え、またひとつ年を重ねる。周りの友達は結婚したり、車を買ったりしている中、自分はまだ一人で、東京のワンルームで脚本を書きながら、もがいている。でも、以前よりも、心は晴れやかだった。

今日納品する脚本を書き終えて窓を開ける。カーテンが春風に揺られ、夕日が差し込んでくる。

合図のように、お腹がグーっと鳴った。久々にカレー屋に行こうかな、と思う。全ての日々の先で、自分は今東京の片隅にいる。

吉祥寺には今日もまばらな人並み。そうやって、このワンルームから、また始まる。